あたりまえ
当然そこにあると思っているものが、その風景から忽然と姿を消していることに直面すると、愕然とするとはこのことだと、立ちすくむことがありました。毎年楽しみにしている大きな桜の木が、或るお宅の敷地にあって、今年も期待通りの見事な花を咲かせて、その前で見とれては、至福に浸らせていただきました。花が散った後も、しょっちゅうその前を行き来していた、ある日、ん???桜の木がない?!下に視線を落とすと、切ったばかりとみられる、まだ、瑞々しい切り株が残されているだけで、しみ出している樹液に誘われているのか、切り株の上をアリたちが忙しく歩き回っていました。いつまでもそこで口をぽかんとして立っている私が気になったのか、お宅のご主人らしき方が出てこられたので、お話をお聞きすると、小さな苗木から三十数年たって、(敷地の外に)木が倒れそうな状態なのを知って、木を切ることにして、その一部を別の場所に植え替えてあげようと考えられているとのことでした。思いをかけることで、変わる風景があり、命が繋がれていく物語が生まれているのかもしれません。思わず、切り株を撮らせて下さい、と、お願いしたものの、持ち歩いているはずのカメラがない。桜の立場としたら、切り株だけになってしまった姿は撮られたくないかもしれない。などと、勝手に解釈して、その場を離れました。
何気ない日々に、当たり前じゃない驚きに出会うほんのひとときがあるものです。一刻一刻と動き続けている世界を感じます。
そういえば、先日、近くの川に放流された魚たちは、今頃どこでどう暮らしているだろう。多様な命が関わり合っているその中に自分もあると、立ち返ることを大切にしたいと思うのでした。
何気ない日々に、当たり前じゃない驚きに出会うほんのひとときがあるものです。一刻一刻と動き続けている世界を感じます。
そういえば、先日、近くの川に放流された魚たちは、今頃どこでどう暮らしているだろう。多様な命が関わり合っているその中に自分もあると、立ち返ることを大切にしたいと思うのでした。